みつと先生
はじめして、みつと先生です!
少し変わった人生ですが、最後まで読んでいただければ幸いです!
みつと先生
今思えば、私の大きな挫折はすでにここから始まっていました…
私は4人兄弟の次男として生まれました。
両親の性格や理想、生き方は正反対で、よく夫婦喧嘩をしていました。
特に母親は「躾」や「教育」に対するこだわりが強く、私たち兄弟に対して、何かあればひっぱたく・怒鳴るの虐待の毎日でした。
今思えば、私(たち兄弟)を憎くてそうしていたわけではないことは理解できます。
それでも明らかにその悪影響が子どもの頃の私を蝕み始めました。
現在、親による子ども虐待は「不適切な養育(マルトリートメント)」と呼ばれ、子どもの心身への深刻な悪影響は社会的に認知され始めています。
まず現れたのは、身長が低い、手足が小さいなど身体への影響です。
背の順はいつも一番前で、平均より2学年ほど遅れていました。
今でも身長は160cmちょっと、足のサイズは23.5cmくらいで、とても可愛いサイズです(笑)
そして、虐待による強いストレスが、夢遊病を発症させました。
睡眠中、無意識に暴れ回ったり泣き叫んだりしていたのです。
何に怯えていたのか、台所から包丁を持ち出したこともあります(笑)
いや、笑えないですね。
虐待には言葉による暴力もあり、物理的な暴力よりも脳への悪影響は大きいと言われています。
その一つは、「劣等感」です。
私は、小学校低学年の時は、本能のままに動き回るやんちゃな子でした。
(発達障害傾向だったことが後で分かりました笑)
しかし、親からの躾(お小遣いなし・ゲーム禁止など)もあり、みんなの輪に少しずつ入れなくなりました。
小4では、先天性(生まれつき)の病気が発症し、1年半 外で遊べなくなり、さらにコミュニケーションがとれなくなっていきました。
そして、親からの
「チビ」「ダサい」「また期待を裏切るのか」
など否定に次ぐ否定の言葉で、「劣等感」が無意識(当たり前)になっていきました。
私は「チビ」で「ダサ」くて「期待を裏切る」人になったのです。
やんちゃだった子は、小学校高学年~高校生にかけてほとんど喋らない子になっていました。
みつと先生
大学時代は、人生の転機であり自分との闘いの日々でした。
大学も、“何となく”みんなが行くから行こうと思いました。
“何となく”一番後ろの席で講義を受け、“何となく”仮入部からそのままバドミントン部に入り、“何となく”生きていました。
しかし・・・
来る大学2年春、ある男の「プロフェッショナル仕事の流儀」を観たのです。
ある男とは、本田圭佑Keisuke HONDA。強烈でした。
彼の容姿、言葉、行動、オーラ…つまりKeisuke HONDAから次の哲学を受け取りました。
「無意識の劣等感」はどこかへふっとび、思い込みの壁がぶっ壊れました。
私は人格が変わったように、物事に「本気で」取り組むようになりました。
大学の講義は一番前で聴き、週2冊の読書を始め、「レギュラーになる!」とKeisuke HONDAのユニフォームを着て部活の練習に参加しました。
髪の毛は金髪になっていました(笑)
しかし、その先に待っていたのは…
***
みつと先生
その前に、もう一つ大切な出会いを紹介します。
部活の先輩に連れられて車で片道3時間半、シャッターが閉まった小さなスポーツショップが見えました。
人が一人すれちがえないほど狭い階段を上がると、薄暗い部屋に一人のおじさんがいました。
最初に彼と何を話したのかはあまり覚えていませんが、話しているとすぐに私の遺伝子や家庭環境=《血筋》を見抜かれました。
まるで“予言者”のようでした。
“予言者”
君からは強い《暴力》を感じる。
君は親だ。
私はそう告げられましたが、その時の私にはよく分かりませんでした。
彼の知は、ここでは話し切れないほどの人生の学びを与えてくれました。
そして、私の“無知”を思い知らせてくれました。
みつと先生
真の自分との闘いはここからでした。
Keisuke HONDAの哲学と“預言者”の知に大きな影響を受け、私は、自身からの命令「もっと上へ」にとり憑かれたように、今までにない努力をし始めました。
大学の講義、課題、週2冊の読書、筋トレ、部活の練習…
すると、その「反動」は約3か月後、夏休みにやってきました。
部活の練習中、ダブルスのゲームをしていた時のことでした。
「何やってんだよ!」「どこ打ってんだよ!」「なんでミスんだよ!」
うまくいかなくて自分のプレイ一打一打に怒鳴っていました。
心身共に疲れ果て、自分を制御しようとしても制御できなくなっていたのです。
誰だか分からない自分が現れて、どうして良いか分からなくなり、
体育館を飛び出して外のベンチで横たわり、ひたすら泣き続けました。
“予言者”
君は親だ。
「自分は親なんだ」
その時、私が真に向き合わなければならないもの・自分=《暴力》《血筋》を理解しました。
“変化とは死”
まさに覚醒、“新たな誕生”の瞬間でした。
ベンチには、汗と涙で水たまりができていました。
“予言者”
人は《孤独》を最も恐れる。
君は変わらなければ《孤独》になる。
私は「学ばなければ生きていけない…」と実感し、今、私がすべきこと・できることを整理し、
これらを徹底しました。
言語を変え、声のトーンを変え、表情を変え、服装を変え、立ち振る舞いを変え、考えを変え…
“自分ではない自分”を演じる毎日でした。
自分は誰なのか、何がしたいのか、分からなくなることもありました。
“予言者”
それが君になる。
そうして自分=《血筋》は変わる。
それでも、“予言者”の言葉を信じて“私ではない私”を演じ続けました。
同じような《血筋》に苦しむ一人の先輩にも、たくさん助けてもらいました。
それから6年が経ち、自分との闘いは実を結び始めています。
今ではこれらの“逆転の知”を、家庭教師や編集長の仕事に活かすことができています。
“予言者”と、彼の知を共に学び考えてくれた先輩との出会いは、本当に、本当に運が良かったと思っています。
みつと先生
大変でしたが、“大きく変わる”とはこういうことなんです。
みつと先生
でも、そのおかげで今も未来も楽しいです!!
この言葉は、映画「Inception」のメッセージです。
私は、Keisuke HONDAの哲学や“予言者”の知、本の情報(先人の叡智)から、学び考えることによって、自分の人生を生きていくことができるようになりました。
つまり、「それらの“アイデア”一行が私の選択を変え、それらの選択が私の人生を変えてきた」ということです。
私は、“その一行”には、良くも悪くも一人の人生、さらには世界までをも変える力があると確信しています。
私が教育者、家庭教師を天職としているのは、ここに理由があります。
教育とは“価値ある一行”を伝えることに他なりません。
特に家庭教師は、その子=《血筋》を見ることができます。
教育の本来あるべき姿であり、“個別性”に最も対応できる教育形態なのです。
私は、教育やその周辺分野について、“その一行”が、人の選択・人生・世界を変えてしまうことを常に畏れながら、“価値ある一行”を伝える記事を書き続けていく決意です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
みつと先生
質問等はこちらにお願いします!
真摯に回答させていただきます!