その“一行”が選択を変え、その選択が人生を変える

みつと先生

はじめして、みつと先生です!

少し変わった人生ですが、最後まで読んでいただければ幸いです!

みつと先生ってこんな人
教育・子育ての真実を探究
本職:(1)現役プロ家庭教師(2)出版社編集長 人生のテーマ:「日々学び、遊ぶ」
  • 幼少期~中学生まで親からの虐待や先天性の病気など、強いストレス挫折を経験
  • 大学時代に“自分は凡人以下”で、“学ばなければ生きていけない”と気づき、年間300冊を読破
  • “自分らしく生きていくための武器”を身につけ、天職:家庭教師、出版社編集長として活躍中
Twitterはこちら 質問等はこちら

親からの虐待と強いストレス、劣等感 ~小・中・高等学校時代

みつと先生

今思えば、私の大きな挫折はすでにここから始まっていました…

親からの虐待の日々

私は4人兄弟の次男として生まれました。

両親の性格や理想、生き方は正反対で、よく夫婦喧嘩をしていました。

特に母親は「躾」や「教育」に対するこだわりが強く、私たち兄弟に対して、何かあればひっぱたく・怒鳴るの虐待の毎日でした。

今思えば、私(たち兄弟)を憎くてそうしていたわけではないことは理解できます。

それでも明らかにその悪影響が子どもの頃の私を蝕み始めました。

虐待による強いストレスと心身への影響

現在、親による子ども虐待は「不適切な養育(マルトリートメント)」と呼ばれ、子どもの心身への深刻な悪影響は社会的に認知され始めています。

まず現れたのは、身長が低い、手足が小さいなど身体への影響です。

背の順はいつも一番前で、平均より2学年ほど遅れていました。

今でも身長は160cmちょっと、足のサイズは23.5cmくらいで、とても可愛いサイズです(笑)

そして、虐待による強いストレスが、夢遊病を発症させました。

睡眠中、無意識に暴れ回ったり泣き叫んだりしていたのです。

何に怯えていたのか、台所から包丁を持ち出したこともあります(笑)

いや、笑えないですね。

無意識の劣等感

虐待には言葉による暴力もあり、物理的な暴力よりも脳への悪影響は大きいと言われています。

その一つは、「劣等感」です。

私は、小学校低学年の時は、本能のままに動き回るやんちゃな子でした。

(発達障害傾向だったことが後で分かりました笑)

しかし、親からの躾(お小遣いなし・ゲーム禁止など)もあり、みんなの輪に少しずつ入れなくなりました。

小4では、先天性(生まれつき)の病気が発症し、1年半 外で遊べなくなり、さらにコミュニケーションがとれなくなっていきました。

そして、親からの

「チビ」「ダサい」「また期待を裏切るのか」

など否定に次ぐ否定の言葉で、「劣等感」が無意識(当たり前)になっていきました。

私は「チビ」で「ダサ」くて「期待を裏切る」人になったのです。

やんちゃだった子は、小学校高学年~高校生にかけてほとんど喋らない子になっていました。

“人生革命”の大学時代

みつと先生

大学時代は、人生の転機であり自分との闘いの日々でした。

Keisuke HONDAの哲学

大学も、“何となくみんなが行くから行こうと思いました。

“何となく”一番後ろの席で講義を受け、“何となく”仮入部からそのままバドミントン部に入り、“何となく”生きていました。

 

しかし・・・

 

来る大学2年春、ある男の「プロフェッショナル仕事の流儀」を観たのです。

ある男とは、本田圭佑Keisuke HONDA。強烈でした。

彼の容姿、言葉、行動、オーラ…つまりKeisuke HONDAから次の哲学を受け取りました。

Keisuke HONDAの哲学
  • 信じる力
  • 情熱
  • give and take
  • 「できる」と信じればできる=信じる力
  • 「もっと上へ」と努力し続ける=情熱
  • 「オレがやる」と自分から始める=give and take

「無意識の劣等感」はどこかへふっとび、思い込みの壁がぶっ壊れました。

私は人格が変わったように、物事に「本気で」取り組むようになりました。

大学の講義は一番前で聴き、週2冊の読書を始め、「レギュラーになる!」とKeisuke HONDAのユニフォームを着て部活の練習に参加しました。

髪の毛は金髪になっていました(笑)

しかし、その先に待っていたのは…

 

***

みつと先生

その前に、もう一つ大切な出会いを紹介します。

“予言者”と“無知”との出会い

部活の先輩に連れられて車で片道3時間半、シャッターが閉まった小さなスポーツショップが見えました。

人が一人すれちがえないほど狭い階段を上がると、薄暗い部屋に一人のおじさんがいました。

最初に彼と何を話したのかはあまり覚えていませんが、話しているとすぐに私の遺伝子や家庭環境=《血筋》を見抜かれました。

まるで“予言者”のようでした。

 

“予言者”

君からは強い《暴力》を感じる。

君は親だ。

 

私はそう告げられましたが、その時の私にはよく分かりませんでした。

彼の知は、ここでは話し切れないほどの人生の学びを与えてくれました。

そして、私の“無知”を思い知らせてくれました。

“変化とは死”である

みつと先生

真の自分との闘いはここからでした。

Keisuke HONDAの哲学と“預言者”の知に大きな影響を受け、私は、自身からの命令「もっと上へ」にとり憑かれたように、今までにない努力をし始めました。

大学の講義、課題、週2冊の読書、筋トレ、部活の練習…

すると、その「反動」は約3か月後、夏休みにやってきました。

部活の練習中、ダブルスのゲームをしていた時のことでした。

「何やってんだよ!」「どこ打ってんだよ!」「なんでミスんだよ!」

うまくいかなくて自分のプレイ一打一打に怒鳴っていました。

心身共に疲れ果て、自分を制御しようとしても制御できなくなっていたのです。

誰だか分からない自分が現れて、どうして良いか分からなくなり、

体育館を飛び出して外のベンチで横たわり、ひたすら泣き続けました。

 

“予言者”

君は親だ。

 

「自分は親なんだ」

その時、私が真に向き合わなければならないもの・自分=《暴力》《血筋》を理解しました。

 

“変化とは死”

 

まさに覚醒、“新たな誕生”の瞬間でした。

ベンチには、汗と涙で水たまりができていました。

“学ぶ”以外に選択肢はない

“予言者”

人は《孤独》を最も恐れる。

君は変わらなければ《孤独》になる。

 

私は「学ばなければ生きていけない…」と実感し、今、私がすべきこと・できることを整理し、

  • 学ぶこと=読書・哲学
  • 人と話すこと=対話・議論
  • 自分を制御すること

これらを徹底しました。

言語を変え、声のトーンを変え、表情を変え、服装を変え、立ち振る舞いを変え、考えを変え…

自分ではない自分”を演じる毎日でした。

自分は誰なのか、何がしたいのか、分からなくなることもありました。

 

“予言者”

それが君になる。

そうして自分=《血筋》は変わる。

 

それでも、“予言者”の言葉を信じて“私ではない私”を演じ続けました。

同じような《血筋》に苦しむ一人の先輩にも、たくさん助けてもらいました。

それから6年が経ち、自分との闘いは実を結び始めています。

今ではこれらの“逆転の知を、家庭教師や編集長の仕事に活かすことができています。

予言者”と、彼の知を共に学び考えてくれた先輩との出会いは、本当に、本当に運が良かったと思っています。

みつと先生

大変でしたが、“大きく変わる”とはこういうことなんです。

みつと先生

でも、そのおかげで今も未来も楽しいです!!

その一行が選択を変え、その選択が人生を変える

人間にとって最強の寄生物は“アイデア”である

この言葉は、映画「Inception」のメッセージです。

私は、Keisuke HONDAの哲学や“予言者”の知、本の情報(先人の叡智)から、学び考えることによって、自分の人生を生きていくことができるようになりました。

つまり、「それらの“アイデア”一行が私の選択を変え、それらの選択が私の人生を変えてきた」ということです。

私は、“その一行”には、良くも悪くも一人の人生、さらには世界までをも変える力があると確信しています。

教育とは、“価値ある一行”を伝えること

私が教育者、家庭教師を天職としているのは、ここに理由があります。

教育とは“価値ある一行”を伝えることに他なりません。

特に家庭教師は、その子=《血筋》を見ることができます。

教育の本来あるべき姿であり、“個別性”に最も対応できる教育形態なのです。

おわりに ~“価値ある一行”を目指して

私は、教育やその周辺分野について、“その一行”が、人の選択・人生・世界を変えてしまうことを常に畏れながら、“価値ある一行”を伝える記事を書き続けていく決意です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

みつと先生

質問等はこちらにお願いします!

真摯に回答させていただきます!

ページトップへ