SEICA

SEICA

はじめまして、SEICAです!

LIFENOTEへようこそ♪

  • 高校卒業後すぐに、英語力0で渡米
  • アメリカの大学を卒業
  • LIFENOTEでは英語担当
  • 自分らしく生きる・働く方法を探して日々勉強中

 

今回はちょっとだけ、私の自己紹介をさせていただきます。

初めて日本に“違和感”を感じた高校時代

公立の小中学校で勉強もスポーツも人並み以上にできて平穏に過ごしていました。

そして高校受験の時期。

当時流行っていた、ドラゴン桜の第1期とか見ながら、高校生活への幻想を抱いていた私。

SEICA

「見た目ギャルなのに、めちゃくちゃ頭いいって最高にかっこいい!そのギャップ欲しい!!」

という、とてつもなく安易な理由で、高校受験に向けて人生初の本気の猛勉強をし始めました。

SEICA

偏差値高くて、ギャルの多い高校はどこですか?!

そんな、理由で受験した地元の県立高校に合格し、

これから、キラキラな高校生活送るんだ〜!とワクワクしていた私は人生初の壁にぶつかります。

この頃から、日本の教育や社会全体の同調圧力に強い違和感を持ち始めました。

SEICA

「みんなと同じにしなさい」とか

「みんなやっているんだからやりなさい」とか…

学校の規則や学年の決まりなど、納得のいかない規則に関して質問しても、

先生たちから返ってくるのはこんな答えばかり…。

自由な校風が良くて入ったのに、大人の都合で私の学年から校則が厳しくなってしまったんです。

SEICA

頭髪とか、スカートの長さとか、そんなこと規制してなんになるの?

しっかり勉強してるんだからいいじゃないか!!

入学当初は一緒に先生たちに抗議していた友達も、

「従わなければ指定校推薦しないぞ」と脅されて一人残らず退散。

先生

いつまでも抗議してるのお前だけだぞ。

みんなと同じ、普通にするのがそんなに難しいか?

そんなことを高校の先生に言われたことは今でも忘れません。

私は、闇雲に規則を守りたくないと主張していたのではなく、

「なぜそのルールを守らなければいけないのか、金髪だと勉強ができなくなるという事例があるのかなんなのか教えて欲しい」

と、正当な理由を求めて抗議していたつもりでした。

でも、先生にそう言われて、高校に行く足が遠のきました。

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私の普通ってみんなの普通じゃないんだ。

納得のいかないことに、正当な理由を求めるのはおかしい事なんだ。

納得いかないことがあっても、同調圧力でみんなその違和感に気づかないふりをする。

そんな空気に、耐えられませんでした。

闇の不登校時代、留学を決意

学校に行くことにすごくストレスを感じ、ほとんど不登校状態。

朝起きて家を出るも、学校に向かっているうちに涙が止まらなくなって、家に引き返してくるなんてことはよくありました。

SEICA

いわゆる、鬱状態ですよね。

学校に行けば否定され、当たり前のように大学に進学するのだという無言の圧力もあり、

「私って生きててなんの意味があるのかな?」って毎日毎日思い悩む日々。

そしてちょうど卒業後の進路を決める時期。

県立の進学校の生徒の志望校なんて似たり寄ったり。

SEICA

大学行ってもまたこの人たちと同じ授業受けなきゃ行けないの…

みんなが受けないようなレベルの高い大学を狙う方法もありましたが、

「そもそも大学受験ってなんのためにするの?」

「テストのための勉強に時間を割いて、私は将来なりたい自分になれるの?」

将来が見えない私は受験勉強をする気にもなれませんでした。

そんな時に、思い出したのが小学校の頃好きだったジャニーズのタレントがアメリカ留学に行っていた時のこと。

SEICA

アメリカの人ってフランクでフレンドリーで楽しいって言ってた気がする…。

私もアメリカに行ったらもっと納得できる生き方見つけられるんじゃない?!

今思えば、ほとんど見切り発車でしたが、本当にアメリカ行きを実現させました。

ギャル、アメリカ上陸

アメリカへ留学経験があると周りに話すと、必ずと言っていいほど、こう言われます。

はるっぺ

いいな〜子供の頃から英語話せたんでしょ〜?羨ましい〜!

…、いや、全然。(笑)

私が、アメリカへ渡った時の英語力といえば、県立進学高校卒業レベル。

渡米直前に受けた英検2級は、面接試験で見事不合格!!

留学へのイメージといえば、ジャニーズタレントが取材で話していたことくらい。

恐ろしいほど、想像力のなかった当時の私はアメリカに行ってからとても苦しみます(笑)

人生で一番勉強した大学時代

まず、私が壁にぶち当たったのは、アメリカに降り立った直後。

税関での入国審査です。

海外旅行へは行ったことがありましたが、ほとんど親が手続きしてくれていましたし、観光ビザなので対応は簡単でした。

SEICA

英語もよくわかんないのに、学生ビザに関してめちゃくちゃ聞いてくるじゃ〜ん!

YES!とかOK!で乗り切ったけど、ほとんど何言ってるかわかりませんでした。

そんなこんなで、自分がいかに英語力がないかということに気づき始めます。(遅い)

ホストファミリーとの会話も、頭の中で文章を整理して言いたいことを言うだけで精一杯。

向こうの言ってることはわからないので、何十回も聞き直しました。

SEICA

ネイティブ発音に慣れていない私は、

"How is it going?" すら、なんて言っているのか聞き取れませんでした…。

そこからは、猛勉強です。

なんせ、生活は全て英語、今まで助けてくれた両親も英語は微塵も喋れませんので、自分で解決するしかありません。

携帯の契約、銀行の口座開設、学校の手続きなど、全て英語でやらなければいけません。

SEICA

生きていくには、英語が必要だったので必死でした。

起きている時間はずっと英語漬け。

授業の予習、復習、授業の後毎回先生に質問しに言ったりして必死に勉強しました。

20代の私の世界を広げてくれたのはアメリカで出会った人々

過酷なこともありましたが、もちろんそれだけではありません。

英語が話せるようになって得たものは、想像以上に大きかったです。

SEICA

高校時代に“普通にしろ”と言われ続けていた自分の、“普通”の概念があっという間に壊れました。

アメリカでは色々な国の人と仲良くなりました。

中国、韓国、タイ、ベトナム、スイス、モロッコ、スペイン、コロンビアなど、世界各国から来ている留学生や、

仕事を求めて南アメリカの国から出稼ぎに来ている人にも出会いました。

SEICA

みんなそれぞれ全く違った常識を持っていました。

日本の小さな常識の中で苦しんでいた高校時代の自分の悩みが、とってもちっぽけに感じたのを覚えています。

SEICA

「髪は黒くしろ」とか「初めて会った人にはお辞儀をする」とか、

日本では当たり前のように思われているルールも、

アメリカでは「地毛が金髪」「挨拶は握手で」など、全く違う常識があるんです。

言われてみれば当たり前のことなんですが、

高校時代に感じた自分の違和感の正体がはっきりして、とてもスッキリした気持ちになりました。

私が滞在していたサンフランシスコは世界でも有数の多様的な地域なので、

人種差別やジェンダー問題、新しい働き方や格差などを目の当たりにしました。

英語が話せるようになったこと以上に、自分の価値観に大きな影響を与えてくれたこの経験には今でも本当に感謝しています。

現在、自由な働き方を探し求めて日々勉強中

そして、卒業後は一部上場企業のWEBマーケティング部に新卒で入社しましたが、

自分らしい自由な働き方を求めて、その会社を1年で辞めフリーで活動中。

SEICA

自分らしくいられる環境で働くのが私にとっては幸せです。

LIFENOTEで記事を書くのも、私らしく働くための活動の1つです!

私は、このサイトを通して、一人でも多くの人の英語学習に役立つ発見や気づきを提供できたら嬉しく思います。

英語は単なるコミュニケーション手段ですが、実際に得るものはそれ以上です!

もっとたくさんの人に、世界中の人とコミュニケーションが取れるようになることで、世界が広がる実感を知って欲しいです!

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