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かなあこ
「自分は何者なんだ???」
これがラナルド・マクドナルドの原動力でした。
ラナルド・マクドナルドはアメリカ・オレゴン州出身です。
イギリス国籍の父親、チヌーク・インディアンの母親のもとに生まれました。
有色人種のラナルド・マクドナルド。
周りに白人が多い環境にいたため、自分のルーツを考えることが頻繁にありました。
かなあこ
人種差別を受けることもあったようです…
「自分は何者なんだ?」「ルーツはどこにあるんだ?」
そう悩むラナルド・マクドナルドに、インディアンの親戚にはこういいました。
親戚
日本はインディアン発祥の地。
私たちのルーツは、日本人だ!
ラナルド
ご先祖さまは日本にいる!
僕のルーツは日本人だ!!!
そう信じたラナルド・マクドナルドは、日本に行くことを決心。
そのためにニューヨークで船乗りになります。
1845年。ついにラナルド・マクドナルドは日本に向かいます。
船乗りとして働いていた捕鯨船が日本付近へ行くときに、捕鯨船に乗り込みます。
かなあこ
しかし当時の日本は、江戸時代の幕末。
絶賛「鎖国」中でした。
そこでラナルド・マクドナルドは、こんな作戦を立てました。
ラナルド
たまたま日本に流れついちゃった、
「漂流者」のふりをして入国しよう!
不法侵入者は容赦なく処刑されるけれど、
「漂流者」だったらアメリカに返されるだけだよね?
ラナルドはこう考えたのです。
捕鯨船が蝦夷地(当時の北海道)付近に近づいてきたとき、ひとりミニボートに乗って捕鯨船を下ります。
そしてミニボートを自分でひっくり返し、ずぶぬれの「漂流者」として日本に流れ込みました。
流れ込んだ先は、北海道の利尻島でした。
かなあこ
流れ込んだラナルド・マクドナルドは、
島の役人に保護されます。
そして数カ所の牢屋を転々としたのち、長崎県に書類送検されます。
持っていた本はすべて没収!
拘留・取り調べが行われた後「大悲庵」というお寺に収監されます。
もともと日本に興味を持っているラナルド・マクドナルド。
周りで聞いて覚えた日本語を話すこともあったんだとか。
それを見た長崎奉行は、
長崎奉行
この外国人、実は賢いのかも…
英語を教えてもらおう。
当時の日本は鎖国をしていて外国と関わる機会は多くありませんでした。
しかしオランダとの関わりはあったため、通訳として英語を学ぶ日本人がいました。
特に長崎では、オランダとの交流が盛んだったため通訳がいました。
かなあこ
しかし当時はオランダの英語を学んでいたため、
覚えていたのはオランダ訛りの英語でした。
それなら英語が母国語である、ラナルド・マクドナルドに英語を教えてもらおう!
そして日本語を教えてあげよう!
こうして日本語と英語の言語交換が始まりました。
かなあこ
ラナルド・マクドナルドは、
日本初のネイティブスピーカー講師なんです!
かなあこ
ラナルド・マクドナルドは
どんなレッスンをしていたのでしょうか?
その前に、当時の日本人通訳の英語レベルを見てみましょう。
かなあこ
英語の発音がとても苦手でした…
当時の日本人通訳は、すでに英語は習得しています。
オランダから手に入れた英語の本で、英語を勉強していました。
かなあこ
だから英文法は完ぺきだったのですが、
英語の発音が苦手だったんです。
というのもオランダ人の英語をまねて発音していたからです。
そのためオランダ人の訛りで英語を覚えていました。
そこでラナルド・マクドナルドは、英語の発音に特化して教えることにしました。
教え方はいたってシンプルです。
通訳に英文を音読させる
▼
まちがった発音の単語を指導
かなあこ
これを何度もくり返すことで、通訳は正しい発音を身に着けました!
ラナルド・マクドナルドがアメリカを離れた数年後、黒船に乗ったペリーが日本にやってきます。
かなあこ
ラナルドから英語を教わった通訳は、
ペリーとの交渉にも貢献しました!
ペリーとの交渉で言語のトラブルが起きなかったのは、
ラナルド・マクドナルドのおかげだったといっても過言ではありません。
かなあこ
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