しゅん
紛争や内戦のニュースをよく見る中東地域ですが、
そもそもなぜ中東は争いが起こりやすいのでしょうか?
中東で争いが起こりやすい原因として主に2つの要因が考えられます。
この記事では、そんな中東の状況を地政学の観点からひも解いて初心者にもわかりやすく簡潔に解説していきます。
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「ニュースでよく見るけど中東はややこしそう」と敬遠していた方向けに、
なるべくわかりやすく要点だけを解説したいと思います。
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しゅん
中東という言葉はイギリスから見て東にあることに由来します。
位置は大まかにオスマン帝国があった地域からインドに至る地域のことを指します。
中東の場所はヨーロッパとアジアの境目に位置しており、古くからシルクロードなど交通の要衝、貿易の中継地として発展していました。
しゅん
16世紀頃にオスマン帝国によって統治されていた中東は信仰・言語の自由を認める平和な国でした。
近年になってからは石油の産油地域として世界的に重要な地域となった影響で、大国の石油利権に対する利害関係や陸路・海路ともに更に交通の要衝として重要な地域になっています。
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歴史上中東は常に世界の要所でした。
その原因もあり各国の思惑に振り回され混乱した地域になってしまいます。
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しゅん
オスマン帝国の統治の元平和だった中東が混乱した原因は、
イギリスによる「三枚舌外交」といわれています。
イギリスが第一次世界大戦中に大戦後の中東問題に対して矛盾した3つの協定を結んでいました。
アラブ人独立を約束した「フサイン・マクマホン協定」
イギリス・フランス・ロシアでオスマン帝国の分割を約束した「サイクス・ピコ協定」
パレスチナにユダヤ人居住地を作る約束「バルフォア宣言」
この矛盾した3つの協定により中東地域は不自然な国境で分断され、現代にまで問題を残しています。
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その中でも特に大きな影響を残したのが、
1916年にイギリス・フランス・ロシアでオスマン帝国の分割方法を決めた「サイクス・ピコ協定」です。
この協定により3国の思惑に沿い、宗教や民族を無視して人工的に国境を分断し植民地化されたため、植民地からの独立後も「宗教や民族のまとまりがなく国としての感覚が薄い」ことや「独裁者がいないと統治しにくい」という状態で混乱が起こりやすい状況になってしまっています。
このような宗教や民族の問題に加え、中東という地域が世界的な石油の産油地域ということも相まって、アメリカなど大国との利害関係も複雑に絡まりあい、紛争や内戦が頻繫に起こる世界的にも不安定な地域となっています。
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更に近年では核開発をめぐっても中東の国々で問題が起こっています。
このような紛争が多い地域として中東は「世界の火薬庫」とも呼ばれています。
今回の記事では、中東がなぜ内戦や紛争が多いのかその原因を簡単に解説しました。
単一民族国家の日本に住んでいるとあまり実感がわきませんが、宗教や民族の繋がりは国家を安定させる意味でとても重要になっています。
しゅん
現在の中東の混乱の原因は当時の大国のエゴによる民族や宗教の分断が大きな原因といえます。
中東の問題は深掘りをしていくとかなりの量になってしまうため、今回は初心者にもわかりやすいように紛争が多い原因に焦点をあてて解説してきました。
この記事を読んで、中東の地政学に興味を持ってニュースをより理解していただければ幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。