TOP > 文化・教養 > 教養講座「評価」第4回:「自分」が《評価》になり《評価》が「自分」になる ~映画「オズの魔法使い」より
みつと先生
こんにちは!教養講座担当のみつと先生です!
今回は、「評価」第4回
「『自分』が《評価》になり《評価》が『自分』になる ~映画「オズの魔法使い」より~」
についてお話します!
質問等はこちらにお願いします!真摯に回答させていただきます!
第3回では、「評価の本質② ~常識における《評価》とは《裁判官なし裁判》の判決~」についてお話しました。
私たちは「公人」で、誰もが《評価》から逃れることはできません。そのような世界を“評価世界”と呼び、その仕組みを《裁判官なし裁判》と呼びました。
そして、“八方美人”とは、「自分」を生きながらも“評価世界”で和を保つ人を言い、「最高の知性」としました。
最終回第4回では、《評価》の本質と“評価世界”の中で生きる「自分」をテーマに、第2回の続き「究極の処世術」に答えを出します。
教養講座「評価」
みつと氏
「オズの魔法使い」は、言わずと知れたミュージカル映画の名作です。
第二次世界大戦中の1939年製作なのが驚きです!(笑)
物語は、主人公の少女〈ドロシー〉が魔法の国へ迷い込むことから始まります。
みつと先生
ネタバレ注意です!事前に自分で観て、ぜひ物語のメッセージを解読してみてくださいね。
舞台
主な登場人物
あらすじ
1.〈ドロシー〉、家ごと竜巻に吹き飛ばされオズの国へ
2.〈ドロシー〉+友達3人が、各々の願いを叶えるため〈オズの魔法使い〉に会いに行く
3.オズ「“西の魔女”のホウキを取ってきたら願いをかなえてやる」ドロシーらは魔女の城へ
4.〈西の魔女〉を殺しホウキを取ってきて、オズに願いを叶えてもらう⇒?
あらすじ1.①ではあの名曲が流れます!
♪Over the Rainbow♪
If happy little bluebirds fly Beyond the rainbow Why, oh, why can't I?
(青い小鳥が虹を越えるなら わたしだって できるはず)
さて、〈ドロシー〉の冒険の途中に友達になったあの3人、〈かかし〉〈ブリキのきこり〉〈ライオン〉にも願いがありました。
しかし、冒険の末、“ダメな魔法使い”〈オズ〉から渡されたものは“もの”でした。
・〈かかし〉⇒“卒業証書”
オズ:脳みそは誰にでもある 重要なものじゃない どんな下等動物だって持ってるものなんだ わしの生まれ故郷では 若者が大勢 大学に行く だが卒業して学者になっても 脳みそは あんたと変わらん ただ 君に欠けているものが一つある “卒業証書”だ 君にTHD*の名誉学位の卒業証書を授けよう *思想学博士
かかし:わあ すごい! 脳みそがある
・〈ブリキのきこり〉⇒“感謝のしるし”
オズ:君は心が欲しいんだね ない方が幸せだよ 心なんてものがあるから つらい思いをするんだ
ブリキのきこり:でも… 欲しいんです
オズ:わしの生まれ故郷には 善行を施す人がおって “心の広い人”と呼ばれとる でも心の大きさは君と変わらん ただ 君に欠けているものが一つある “感謝のしるし”だ 君の温かい心をたたえ 我々から心よりの感謝のしるしを贈ろう 心の大きさとは君が愛するのではなく どれだけ人から愛されるかで決まるのだ
・〈ライオン〉⇒“勲章”
オズ:君は思い違いをしとるんだ 危険から逃げ出すから 勇気がないと思っとる 勇気と知恵を混同しとるんだ わしの生まれ故郷には 英雄と呼ばれる人たちがいて 年に一度 タンスから勇気を取り出してパレードをするんだ 英雄の勇気も君と変わらん ただ 君に欠けているものが一つある “勲章”だ そこで魔女退治における君の武勇を ここにたたえ 十字勲章を授ける これで君も英雄だよ
ライオン:感激です
〈かかし〉は“卒業証書”を「脳みそ」だと感じ、〈ブリキのきこり〉は“感謝のしるし”を「心」だと感じ、〈ライオン〉は“勲章”を「勇気」だと感じています。
つまり、彼らが叶えたものは《評価》された「自分」だったのです。
《評価》が「自分」になったのです。
ところで、〈かかし〉に「脳みそ」はなかったのでしょうか?
〈ブリキのきこり〉に「心」は、〈ライオン〉に「勇気」はなかったのでしょうか?
冒険の途中、脳みそがないはずの〈かかし〉は作戦を考え、心がないはずの〈ブリキのきこり〉は友達を思い、勇気がないはずの〈ライオン〉は先頭に立って崖を登りました。
本当は、みんな叶えたいものを既に持っていたのです。
しかし、彼らは、“ないと思っていたからなかった”のです。
逆に言えば、“あると思えばある”のです。
彼らに“ある”と思わせたきっかけが、〈オズ〉からの《評価》=“もの”なのです。
みつと先生
彼らは《評価》される前と後では別人のようですが、一体何が変わったのでしょうか?
そうです。①《評価》=“もの”・②「“ある”と思っている」という思い込みだけです。
▼物語の“真の主人公”
“真の主人公”とは、物語のメッセージを象徴・代弁している人・ものを表します。
結論から言うと、それは、あの〈馬〉です。覚えていますか?
(ふざけていませんよ!笑)
あらすじ3.①に30秒ほどしか出てきません(笑)
〈馬〉は、その短い間に白⇒紫⇒赤⇒オレンジと次々に色を変えていきます。
ドロシー:この馬 色が変わったわ こんな馬 見たことないわ
案内人:そうだろう この世で一頭しかおらんのだ 人によって顔色を変えるんだよ
〈馬〉は、①世界に一頭しかいない、②人によって顔色を変える…
言い換えると、①人それぞれちがう、②人によって変わる…
〈馬〉=《評価》の象徴なのです。
みつと先生
洋画はおもしろいだけでなく、奥深いメッセージを秘めていることが多いです。
それも、主人公ではない人・ものが伝えていることもあります。
あなたは気づけましたか?
▼〈オズ〉の「魔法使い」さえも《評価》
作品のタイトルになっている〈オズ〉の「魔法使い」さえもただの噂=《評価》にすぎません。
あらすじ3.①の〈ドロシー〉と〈案内人〉との会話はその代表的な場面です。
案内人:オズ大魔王には誰も会えん 誰も会ったことがない
ドロシー:じゃ どうして“いる”って分かるの?
案内人:それはだな…
また、彼の《評価》は、あらすじ4.①では、“偉大な魔法使い”・“何でもできる”・“すごい魔法を使う”から ただの人間になり、〈ドロシー〉らに「イカサマだ」と責められました(笑)
〈ドロシー〉は、あらすじ1.①「家族に分かってもらえ」ず家出をしました。
彼女が「分かってもらえない」と思ったきっかけは、家族からの言葉でした。
・「頭を使うんだよ 脳みそがないのかい? 頭にわらでも詰まってんじゃない?」⇒〈かかし〉の願い
・「おれなら 勇気のあるとこ 見せてやる」⇒〈ライオン〉の願い
・「いつも つまらないことを 大げさに心配して それより心配のいらない場所を探しなさい」⇒〈ブリキのきこり〉の願い
「分かってもらえない」とは「分かって欲しい」ということです。
つまり、〈ドロシー〉は何より家族からの《評価》が欲しかったのです。
冒険で出会う〈かかし〉らは、彼女の“心の底からの願い=《評価》の具現化なのです。
みつと先生
〈ドロシー〉は〈かかし〉らに「前に会ったことない?」と初めて会った気がしないのは、彼らが彼女自身だからですね!
みつと先生
お待たせしました!第2回の続きです。いよいよ核心に迫ります!
これは〈かかし〉の言葉です。
彼の身体は わら なので、マッチが「怖いもの」です。
しかし、彼は「脳みそ」を心の底から願っているため、“マッチなんか何のその”なのです。
「心の底から願う」とは、こういうことです。
《評価》が「自分」になるまでには、5つのステージがあります。
▼「心の底から願う」=「生き方・在り方」
「生き方・在り方」は「自分」と言い換えても良いでしょう。
これが決まっているか否か・これを決めるか否かで、人生の航路が大きく変わります。
“評価世界”で生きていくための、最重要ポイントです。
「自分」が分かると、
このような価値観の軸がブレなくなるため、迷わず場を選べ、人を選べ、役割を選べ、人生を選べるようになります。
▼「行動」によって“心の底からの願い”にする
とはいえ、特に現代人は、人生に使命感や目的感を抱いて生きている人の方が少ないかもしれません。
「行動」が“心の底からの願い”になる場合もあります。いや、そうしていくのです。
“そう思えばそう”(SOS)なのです(笑)
「行動」は《評価》の根の部分です。
「行動」すれば、必ず失敗したり壁にぶつかったりするため、「自分はダメだ」と思いがちです。
しかし、たとえ失敗しても「行動」していない人よりは実力がついています。
ただ、無自覚なのです。
ポイントはただ一つ、失敗から学べば良いのです。
「行動」は【失敗⇔学び】のサイクルによって、次第に「形・数字」として表れていきます。枝葉の部分です。
これらは見えるものなので《評価》になります。
このステージで初めて「実力がついた」と《評価》され、そう自覚できます。
〈かかし〉らが《評価》=“もの”を渡された時と同じで、“ないと思えばない”し、“あると思えばある”のです。
〈かかし〉らのように、《評価》の前と後ではほとんどその人の能力は変わっていません。
しかし、その後はまるで自他共に同じ人を別人だと見なしています。
《評価》が「自分」になる瞬間です。やっと花が咲くのです。
また、1~5のサイクルを回していくと、①と⑤を中心に全てのステップがつながり共鳴し始めます。
これが、さらなる「自分」を創ることになるのです。
5ステージのサイクルが、今・これからを生きていくための「究極の処世術」です!!
みつと先生
「究極の処世術」を言語化しましたが、結局 本人が“実感”するしかありません。
まずは、長い目で見て、誰から見ても頑張っていると《評価》されるまで、やってみましょう!
みつと先生
「評価」最終章では、改めて《評価》の本質の実例を紹介しておきます。
第1回の「試合に出場できる人」とはちがった学びがありますよ!
▼バッキンガム宮殿(英)の近衛兵
イギリスは陸海空軍を保持しています。
特に、陸軍の赤い上着に熊の毛皮の帽子の姿は有名で、TVなどで見かけたことがあるでしょう。
衛兵交代式は英国王室の観光資源にもなっています。
ところで、首都ロンドンにはバッキンガム宮殿があり、そこにはいつも近衛兵が立っています。
彼らは直立不動の姿勢で警衛し、その姿はまるで宮殿と同化しているようです。
▼“ただ立っているだけ”
今、彼らの仕事・警衛を、「直立不動の姿勢で」とカッコよく説明しましたが…
やっていることは“ただ立っているだけ”です(笑)
しかも制服を着ているので、“自分らしさ”などひと欠片もありません。
しかし、ふと思えば、私たちの仕事も同じではないでしょうか?
誰でもできそうな地味な仕事を日々やり続けていないでしょうか? 褒められもせずに…
▼“ただ立っているだけ”をきちんとできる=《評価》
近衛兵をさらによく見ると、実はカッコいいです。
個性はありませんが、宮殿の風景を装飾しています。
“ただ立っているだけ”が、カッコいい=《評価》の実例です。
《評価》を手に入れると、より華やかな部隊(舞台 笑)へと昇格することができます。
「役」を演じることが「役割」になり、「キャラクター」になる。(「評価」第2回)
私たちもやはり同じです。まず地味な仕事をきちんとこなすことが《評価》になるのです。
みつと先生
私たちも近衛兵に学び、「自分」と《評価》のバランスをとりながら、目の前の仕事を真面目に・一生懸命に取り組んでいきましょう!
みつと先生
1万字超!の「評価」の話もついに終わりの時が来ました。
長い長い“思考旅”でしたね!
▼《評価》とは?
一言で言うと、《評価》とは、
誰かと共に生きる人間が、他者から・自分自身から“「自分」とは何者か”の答えを決められるものです。
「自分」は他者からも自分自身からも決められている、ということです。
至極、当たり前の答えになりましたね!(笑)
ただ、ここまで聴いていただいた方なら、この言葉の重みを感じられると思います。
▼〈ドロシー〉は「自分」を知った
あらすじ4.③
北の魔女グリンダ:自分の力で帰れる 言っても信じないわ 自分で分からなくてはね
ドロシー:叔母さんや叔父さんに会いたいと思うだけじゃダメ 心から求めるものを探すなら… きっと うちの近くにあるんだわ うちになければ どこを探してもないのよ
〈ドロシー〉は、“ルビーの靴”のかかとを3回ならして“やっぱり おうちが一番”と念じました。
“ルビーの靴”は、“心の底からの願い”を叶えるアイテムだったので、脱いではいけなかったのです。
彼女は家のベッドで目覚めると、心配そうに見守る家族に囲まれていました。
〈ドロシー〉も、「自分」=「在り方・生き方」を知ったということです。
(教養講座「『自分』を知る」は作成中です。お楽しみに!)
みつと先生
教養講座「評価」
■仕事
■座右の銘