しゅん
シンガポールと聞いて思い浮かぶものは何でしょうか?
シンガポールと言えば23区と同じくらいの面積の小さな都市国家で、観光名所のマーライオンやポイ捨てをすると罰金を取られる国、1人あたりのGDPが高い裕福な国といったイメージを持たれている方が多いと思います。
しゅん
なぜ、国土の小さなシンガポールが1人あたりのGDP世界2位の裕福な国になれたのでしょうか?
その理由は、地政学の観点からシンガポールのアジアでの位置を読み解くことでその答えを見つけることができます。
この記事ではそんな小さな経済大国「シンガポール」を地政学の観点から深掘りして解説していきたいと思います。
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このページの目次
シンガポールの名前の由来は14世紀頃にこの地にサンスクリット語でライオンの町を指す、「シンガプーラ」という名称が定着したことから始まります。
その後1819年にイギリス東インド会社のトーマス・ラッフルズが上陸をし、1824年には当時島を支配していたジョホール王国より植民地として正式に割譲されました。
このころに貿易の中継地点として発展し、中国やインド、インドネシアなどから多くの移民が流入し、現在の多民族国家の起源となりました。
しゅん
ラッフルズが上陸した当時のシンガポールは人口150人程度の何もない島だったといわれています。
時代は進み、太平洋戦争時には日本軍による占領が行われ、名称も「昭南島(しょうなんとう)」と改名されました。
終戦後、日本軍は撤退しますが独立は果たされず再びイギリスによる植民地支配の状況に戻ってしまいます。
その後の独立運動の高まりによって、1959年にはイギリスの自治領に、1963年にはマラヤ連邦、サバ・サラワク州とともにマレーシア連邦を結成します。
しかし、マレーシア連邦でのマレー人を優遇する中央政府と華人が多いシンガポールとの間に軋轢が起こり、1965年にマレーシア連邦から追放される形で分離独立をします。
しゅん
この当時のシンガポールには経済成長する見込みが全くないほど何もない状況でした。
当時の首相のリー・クアンユーは独立の記者会見で悲観から泣き崩れてしまいました。
当時の会見の映像を貼っていますので興味のある方は見てみてください。
シンガポール独立、リー・クアンユー涙の会見
しゅん
追い出される形で独立を果たし何もなかったシンガポールが、
50年余りでGDP世界第2位の経済大国になった理由は何でしょうか?
その理由は、マレー半島の先端にあるというシンガポールのおかれている地政学的位置が大きくかかわってきます。
1つ目の理由は、世界でも重要なシーレーンのチョークポイントであるマラッカ海峡に接していることです。
ヨーロッパとアジア間の海運はもちろん、中東で産出された石油の多くは日本を含めこのシーレーンを使っています。
ASEAN(東南アジア諸国連合)での海運の拠点としても機能したことで、シンガポールは大きく発展してきました。
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しゅん
世界でも重要な輸送網の中継地点に位置しているということで、多くの船がシンガポールの港に立ち寄ります。
シンガポールの位置はアジアのほぼ中央に位置しているため、アジアの各国の主要都市に飛行機を使うことで短時間で移動することができます。
そのため、アジアのビジネス拠点として様々な企業が進出してきました。
しゅん
アジアの様々な都市に2時間程度で移動することができます。
極東の日本から考えると交通の便がいいことは確かです。
日本までも7時間ほどで移動が可能です。
シンガポールのおかれている位置が、地政学的に特に重要とされるチョークポイントであるマラッカ海峡に接して、世界的にみて人や物が集まる場所ということが、シンガポールが経済成長を大きく遂げた理由です。
そのなかで人や物が集まる場所ということに早々に気付き、その恩恵を最大限に利用するための環境づくりをしてきたシンガポールの先人たちには地政学を読み解き未来を見る力があったと言えるでしょう。
しゅん
小さな経済大国「シンガポール」に興味を持った方、こちらの本はサクッと読めるのでおすすめです。
この記事を読んでぜひ「地政学」に興味を持っていただけたら幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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